会社を辞める。趣味をやめる。付き合いをやめる。
なにかを始めるとき、続けているときよりも、やめるときのほうが勇気がいるものです。
「本当にこのままでいいのだろうか」
今に対する不満を抱えながらも、だらだらと続けている。終わりが見えない中で、やめどきを見失っているなんてことはないでしょうか。
「自分に還るための40の習慣」2つ目は、新しいスタートが切れなくなっている人に向けて、やめることの大切さについて解説します。
目次
やめることは正しい選択肢のひとつ
「やめる=悪」は極端な考え方
「継続は力なり」という言葉にとらわれがちですが、必ずしも継続が成長や成功を意味するわけではありません。継続することで、逆に自分を縛り、新たな可能性を閉ざしてしまうことがあります。
入社1年目で会社を辞めていった新入社員をみて、あなたはどう思うでしょうか。
「1年目で辞めるなんて根気がない」
「自分の考えをしっかり持っている」
ひとによって捉え方は様々ですが、継続できなかったことを「だらしない」「忍耐がない」と感じるひとの方が、多いのではないでしょうか。
続けるのがいいのか、やめて新しいスタートを切るのがいいのかは、自分の実力、置かれた環境、ゴールや理想など、様々な要因をもって総合的に評価した方がいいはずです。
それにもかかわらず、石の上にも三年、継続することばかりがよいとされるのは、変化を避けて現状を維持しようとする「現状維持バイアス」という心理効果や、子どもの頃から受け付けられてきた親や社会からの価値観が強く働くからです。
続けることが何よりも正しい、やめることは悪だというのは、非常に極端な言説です。
豊かな人生を歩んで行くために必要なことは、やめることは悪だという誤った価値観を手放し、自分で選択し、自分で行動することを楽しめる日常を手に入れることなのです。
継続が自分の可能性を狭める理由
自分が信じていること正しいとは限らない
継続することに過剰にとらわれていると、自分を縛り、新たな可能性を閉ざしてしまうのはなぜでしょうか。
ひとつめの理由は、「継続」することに対する過剰な期待が、やめどきの判断を狂わせるからです。やめるのがよいのか、続けるのがよいのか。その価値観は時代や地域によって異なるので、自分が過去の教育の中で身に着けてきた価値観を、疑ってみることも必要です。
ふたつめの理由は、環境が変化するからです。特にデジタル技術の発展が著しい近年では、自分が勉強や趣味をはじめたときの状況が、半年や一年で大きく変わってしまうことが大いにあり得ます。
自分が立てた目標は、変わることがあれば、それ自体がなくなってしまうこともあるということです。
みっつめの理由は、自分の適性を判断したり、自分の成長を促すためには、異なる分野への挑戦が必要になるということです。
これらの理由を、もう少し考えてみましょう。
理由1. 価値観は時代や地域によって変わる
誤解がないように断っておきますが、決して継続が悪いと言っているのではありません。
問題は、何も考えずに続けることだけが正しいと考えていると、自分の可能性を閉ざしてしまう可能性があるということです。
つづけることが正しいという考えが、偏った考えであるという例を挙げてみましょう。
転がる石には苔がはえない(A rolling stone gathers no moss)ということわざをご存じでしょうか。このことわざのもともとの意味は、「職業や住居を転々と変える人は、地位や財産を得ることができずに大成しない」というものでした。
しかし、のちに「常に活発に行動している人は、古い慣習などにとらわれずに、時代に取り残されることがない」という意味が付け加えられました。
日本においては、「石の上にも三年」と同じように忍耐、努力の必要性を説明するときに使われることの方がおおいのではないでしょうか。スポーツ選手、アーティストから、ビジネスマンにいたるまで、何かを成し遂げるためには、苦しさをこらえて、継続することが美徳とされます。
このことから分かるのは、継続と挑戦のどちらが一般的に正しいとされるかは、時代や地域によって変わるということです。自分の中で、続けることが絶対に正しいという思い込みがあるのであれば、そのような思い込みを外して判断した方がよさそうです。
理由2. 技術の進歩がどんどん早くなっている
近年では、盲目的に続けていればいいという価値観に、疑問を感じるひとが増えてきているように感じます。
2015年にホリエモンこと堀江貴文さんが、「飯炊き3年、握り8年」の修行が必要とされる寿司職人に対して、「何年も修行するのはバカだ」とSNSに投稿し、大きな議論が巻き起こりました。
技術の習得にかかる時間は人それぞれなので、センスがある人は短期間の修行でよいという合理的な考えと、長期間の忍耐と努力による信条、流儀、心意気といった哲学の習得が必要という意見がぶつかりました。
昔ながらの哲学を守る職人の気持ちは理解できます。一方で、テクノロジーの進化によって、ビジネス環境が大きく変化する世の中において、何年も先を見越してひとつのことをやり遂げることが難しくなっていることも事実です。わたしはITのエンジニアですので、特にその影響を強く感じています。
大学で新しい技術を身に着けてきた新入社員に、現場の人間が教えてもらうなんてことも珍しいことではありません。自分が学んできたことを途中でやめて、新しいことをはじめるという流れは、今後さらに一般的になっていくでしょう。
理由3. 違う分野への挑戦で自分がわかる
自分を理解するためには、スタートとゴールを繰り返すことが必要です。
何かに挑戦すると、壁にぶつかります。そして、自分なりの課題を設定し、解決策を探していく。
この繰り返しの中で、自分の好きなこと、嫌いなこと、得意なこと、苦手なことが分かってきます。
問題にぶつかっていけば、辛い思いや、苦しい思いをすることでしょう。そして、自分の限界、つまり、自分の輪郭が見えてくる。これが、自分がわかるということです。
彫刻家が様々な角度から素材にのみを打つように、様々な角度から自分を見ることで、自分のことをより理解できるようになります。
だからこそ、頑張ってダメだったら、軌道修正する。それもダメなら、撤退する。つまり、様々な角度から自分を眺めるためには、やめて新しいスタート地点に立つことも必要なのです。
自分をだめにする「やめられない病」
「もったいない」が判断を鈍らせる
「続けなければ、いままでの努力が無駄になる」
そう考えて、ひたすらに努力をすることが正しいのでしょうか。
「資格試験のために、何年も勉強をしているけれど、合格できない」
「多額の費用と時間を使ったために、もう引き返すことができない」
このように、すでに使ってしまった費用や時間に対して「もったいない」と感じてしまい、合理的な判断ができなくなることを「サンクコスト効果」といいます。ここでは「やめられない病」と呼ぶことにしましょう。
わたしもこの「やめられない病」にかかり、たびたび苦しんできました。
もったいないという価値観を手放す
一番反省しているのは、子どもの教育や習い事のことです。
息子は幼稚園の頃にサッカーを始めました。小学生に上がっても、引き続きサッカーを続けていましたが、年齢が上がるにつれて、練習に行くのを渋るようになりました。
県大会でも優勝を目指すようなチームでしたので、ベンチメンバーだった息子は、かなり肩身の狭い思いをしていたのでしょう。
そのときのわたしは、「いままで頑張ってきたから、もったいない」、「いつかやっていてよかったと気づくときがくるから、続けた方がいい」と、鼓舞し続けました。
しかし、彼にはその「いつか」が訪れることはありませんでした。
学校へ行くことも渋るようになり、サッカーどころか学校にも行かなくなりました。
あなたの周りにも「もったいないから」と、自分の価値観を押し付けてくるひとはいないでしょうか。そしていつのまにか、「続けなければ」と自分を追い込んでいないでしょうか。
「やめられない病」に悩んでいるのであれば、一度その場所から離れてみるのも、選択肢のひとつです。続けるか、やめるかは、自分で決めればいいのです。
中学校に上がった息子のその後ですが、小学校の頃から貯めていたお年玉を使い、ギターを買いました。毎日、楽しそうに弾いているところを見ていると、はじめに選んだ選択肢が正しいなんてこどは幻想だと気づかされます。
まとめ
継続することに盲目になっていると、かえって自分自身の可能性を狭めてしまうということを、お伝えしてきました。
現実には、やめようとすると様々な障害が立ちはだかるでしょう。
結果が出ないときに、やめるか続けるかを見定めるのは、簡単なことではありません。
しかし、何かを続けていても、自分が解決する課題が見つからなくなったのなら、それは新しい環境へ移った方がいいというサインです。
努力では解決できないような問題に直面したときにも、潔く撤退して、別の環境でチャレンジしたほうが、自分の可能性を広げることができます。
やめようとする自分に、「継続しなければ成長しない」という先入観や、「今やめるともったいない」といった周囲の声が立ちはだかるでしょう。
こういった、偏った考えに惑わされることなく、バランス感覚をもって自分で決断を下すことが重要です。
それは、自分の気持ちと周囲の状況を観察する。継続することで得られるものと辞めることで得られるものを客観的に判断するといったことです。
ときには、勇気ある撤退を選択できることが、自分らしく豊かに暮らしていくために必要であるとことを、忘れないようにしたいです。
ポイント
- やめることは悪だというのは極端な価値観。
- 「やめるともったいない」という周囲の声に惑わされないようにしよう。
- 偏った考えに惑わされずに、バランス感覚をもって自分で決断をくだそう。